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歴史と概要

松岡城十二代城主
松岡右衛門大夫貞正が
開基

 松源寺は今から約500年前の永正10年(1513)頃に開創された臨済宗妙心寺派に属している禅寺です。当時は牛牧寺山という地籍に建てられました。現在の松源寺を含めこの周辺一帯には松岡城という山城が広がっていました。開基(お寺を建てて下さった方)は松岡城12代城主、松岡右衛門大夫貞正であり、御開山様(初代住職)は文叔瑞郁(ぶんしゅくずいいく)禅師という方で、貞正の実弟にあたります。私達の本山妙心寺の24代住職を務められた程の名僧でした。

慶長八年より
松岡城跡へ

 松源寺は天正10年(1582)、織田勢による甲州攻めの際焼失し、更にその6年後の天正16年(1588)、松岡氏が徳川家康により改易(お家取り壊し)となった為、慶長8年(1603)頃、現在の地に移ってきました。
 以来400年以上、松源寺は松岡城の跡地を守らさせて頂いております。

松岡氏と井伊氏ゆかりの寺

 松岡氏と遠州(静岡県)井伊谷とのつながりは、井伊家20代の城主・井伊直平が文叔瑞郁禅師を自浄院(後の龍潭寺)の院主に迎えられたのが始まりです。
 院主に迎えられ文叔さんは、後に井伊氏の菩提寺となる龍潭寺を開山なさる黙宗瑞淵(もくじゅうずいえん)禅師を育て上げることになり、この法縁から亀之丞(井伊直親)は市田郷(高森町)に逃れてくることになります。

天文13年(1544)の年の暮れ、井伊直平の子直満と直義は駿河の今川義元からあらぬ疑いをかけられ、斬殺されました。直満の嫡男・亀之丞は9歳でしたが、命を狙われたので、家老の今村藤七郎が「かます」に入れて背負い、遠く信州市田郷の松源寺へ落ちのびてきました。年が明けた天文14年正月3日の夜のことでした。

 龍潭寺2世の南渓和尚(直平の子であり、亀之丞の伯父)が託した文を読んだ松源寺では、快く亀之丞をかくまい保護しました。藤七郎に付き添われて松源寺に潜伏すること12年。松岡城主・貞利の指導もあって、亀之丞は学問や武術の稽古に励み立派な若武者に成長した。亀之丞は持参した「青葉の笛」を吹いて、生まれ故郷の遠州をしのんだといいます。
 20歳になった亀之丞はようやく井伊谷に戻り、井伊肥後守直親を名乗って井伊家23代を継がれます。永禄4年(1561)には嫡子虎松(後の直政)をもうけますが、翌永禄5年(1562)、27歳で松平(徳川)と通じているとして今川氏真によって殺されてしまいます。

 こうして松岡氏と亀之丞(井伊直親)、井伊直虎(次郎法師)とのつながりが生まれてきました。現在でも浜松市井伊谷や新野氏(次郎法師の母は新野左馬助親矩の妹であり、親矩は虎松{後の井伊直政}の命の恩人でもあります)の出身地御前崎市と高森町との交流は続いています。