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松岡城(松岡本城)について

二百五十年もの間
松岡氏の本拠地となった
松岡城

 松岡城は南北朝時代争乱の頃築かれ、その後、戦国時代に大きな修復が加えられておよそ250年間松岡氏の本拠地となりました。
 松岡城は高森町の東南部、東方に天竜川を望む標高560メートルの段丘突端、西方は平地に連なる地に築かれた城です。城内は本丸を除く大部分が開墾されて田畑になっていますが、深く掘られた数条の堀跡は概ね現存しており、本丸・二の丸・三の丸・および惣構の各曲輪がはっきり残っています。
 松岡城の大きな特徴として、舌状の段丘先端から本曲輪。二の曲輪・三の曲輪・惣構と作られ、その間に第一~第五の堀を構えてこれが真直ぐに連なるという連郭式の典型的な城であることです。また、本城跡の残存状態は中世の段丘を利用した城跡としては県下で最も良いと言われています。


松岡古城跡(お家塚)と
一本杉(夫婦杉)

 松岡古城は松岡城(松岡本城)のある段丘山手側にあり、間ヶ沢に面した南北200メートル・東西50メートル程の細長い丘の上に大杉が聳えています。この杉は一本杉とも夫婦杉とも言われており、樹齢600年を超えています。古くからこの地の人に親しまれており、この杉を中心に松岡氏の最初の居館があったと伝えられています。
 松岡氏が市田郷(現高森町)を管理するようになった平安末期から鎌倉時代を経て建武年間に東方の要害の地に松岡城を築き、これに移った頃までの約250年間の居館の跡地であると考えられています。古城周辺には堀の跡の溜池や用水路が残されており、城や城下町に関連する地名も多く残っています。
 最近のこの城跡は畑となって縮小してしまっていますが、大杉の元に松源寺を開基した松岡右衛門大夫貞正夫人の供養塔とされる石碑があります。また平成30年には、夫妻500回忌に合わせ宝篋印塔が建立されました。