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伊勢神宮より金剛證寺様へ

伊勢神宮を後に、同じ臨済宗の南禅寺派に属する金剛證寺様を拝塔致しました。
「金剛證寺(こんごうしょうじ)は、三重県伊勢市朝熊町岳にある臨済宗南禅寺派の寺院。山号は勝峰山。院号は兜率院。本尊は虚空蔵菩薩。朝熊山(あさまやま)南峰(経ヶ峯)東腹にあり、当寺は「朝熊山」と呼ばれる場合がある。

木造雨宝童子立像(重要文化財)、平安時代の作。
創建は6世紀半ば、欽明天皇が僧・暁台に命じて明星堂を建てたのが初めといわれているが、定かではない。平安時代の天長2年(825年)に空海が真言密教の道場として当寺を中興したと伝えられている[1]。またその際、空海は本尊として福威知満虚空蔵菩薩を祀り、寺名を勝峰山兜率院金剛證寺とし、虚空蔵求聞持法を修したという[2]。なお鳥羽市河内町丸山539の庫蔵寺(真言宗御室派)は、空海が当寺の奥の院として建立したものであるという。

当寺はその後衰退して無住の時代が続いたが[2]、14世紀末の明徳3年(1392年)[2]から応永年間(1394年 – 1427年)に鎌倉建長寺71世の仏地禅師東岳文昱(とうがくぶんいく)が再興に尽力した[1]。これにより東岳文昱を中興で新たな開山第一世とし、真言宗から臨済宗に改宗し禅宗寺院となった。

神仏習合の時代、伊勢神宮の丑寅(北東)に位置する当寺は「伊勢神宮の鬼門を守る寺」として伊勢信仰と結びつき、「伊勢へ参らば朝熊を駆けよ、朝熊駆けねば片参り」[1][3]とされ、伊勢国・志摩国併せて最大の寺となった。」(Wikipediaより)
静寂の中に整えられた境内は禅寺らしい雰囲気でした。

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